2014年10月5日日曜日

大きな苦難のスタート



早く逃げろ!
マルコ13,14-20
13:14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
13:15 屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。
13:16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
13:17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
13:18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。
13:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。
13:20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。
1.大きな苦難
この『終末の説教』には主が具体的に描いて下さったイベントは少ないです。沢山の怖いことが指されてありますが地震、戦争、飢餓のような災害です。クリスチャンの迫害も、信者達の心の中の愛の冷える危険。もっと肯定的な出来事は福音の世界中の進歩です。そして一番の出来事は救い主の再臨です。
早速主の再臨の前には、大きな苦難の日があるそうです。14節は、この大きな苦難が始まるイベントを指しています。『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っていることです。これは、ダニエル9,27の引用です。この御言葉はギリシャの王がユダヤ人を迫害している時期を予告しました。この預言の二番目の成就はローマ人のユダヤ人の暴動に対する反応です。ローマ人の軍隊はエルサレムの神殿に入り、ユダヤ人の目に偶像として見える方形の軍旗を庭に入れて置きました。これは『荒らす憎むべきもの』の言葉の意味だったみたいです。ローマ人の軍隊がエルサレムの神殿の中で旗を持ってきたということは、エルサレムの破壊のための最終的な戦いの前の時期です。
ユダヤ人は長い間ローマ人の支配を我慢しました。ローマ帝国のメンバーであることは色々な良い点もありました。ローマの軍隊は動労の安全を保障することが出来ました。人々は自由に外国に旅すること、遠いところの知合いに文通することが出来ました。もちろんそのために税金を払う義務もありました。ユダヤ人の宗教家は異邦人との接触が嫌いでした。国民主義者たちはローマ人を自分の国から追い出す計画を密かに計らっていました。熱心党の人たちは、もし彼らが勇気をもって戦うなら、神様は必ず彼らを助けると思っていました。しかしイエス様は繰り返してこの熱心党の人たちを警告しました。主は政治的な力を求めませんでした。わたしの国はこの世のものではない、と断言しました。(ヨハネ18,36)剣を取る者はみな剣で滅びます。マタイ26,52.
主の預言者の目の前にもはや宮の石が崩れる場面が見えます。戦う者たちが頼るいエルサレムの城壁の石が粉々に壊れる景色を主が見ておられます。都が包囲されている時には食べ物はなくなります。それで主は弟子たちに早く逃げるようにアドバイスします。
2.苦難の始まり
エルサレムの包囲は突然には行われません。主は当時のクリスチャンのために逃走し始める印を教えています。例えば、もし私たちが消防車のサイリーンの音を聞くと、近くに火事があると推測します。あるいは9月の初めにいつも地震警報の練習があります。その音が聞こえると、日本人は地震だと分かります。こういう印があると、気をつけなさい、と言う意味です。『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば。ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。14節。
しかし、この「憎むべきもの」は具体的に何ですか?旧約時代の人々にとって、憎むべきものは偶像に対して使う言葉でした。旧約には怖いことは、王様が都に偶像を許すことでした。エルサレムの宮は神様の家として建てられました。聖なる、唯一の神様はその民と共に住むためでした。しかし、愚かな王がその宮に偶像を立てて、偶像崇拝を勧めると、神様の御怒りを起こしてしまいます。もちろんその結果として敵の軍隊が都に攻撃し、人々を虜として連れて行きます。あるいは68年ー70年のローマとの戦争でエルサレムが破壊されます。民は全世界に散らされます。
こうしてユダヤ人のクリスチャンに、一つの選択がありました。国民の仲間たちと肩を並んでローマ軍隊に反乱し、自分の都を守るか ー あるいは逃走するかのどちらにしなければなりません。この状態にある人たちのために主は「ためらわず逃げなさい!」と勧めます。15節から18節まで主は「何よりも早く逃げなさい!」と勧めて下さいます。当時の家の中で戦争の危険の近寄ることは聞こえなかったでしょう。屋上で寝ているなら、戦争の雑音を聞いて、命を救うことが出来ます。しかし、長くためらってはいけません!昔の家には中の階段ではなく、外の階段しかありませんでした。山に逃げるために、前に少し暖かく着る物を持って行かなければなりません。階段を降りたら、もうすぐ走りださなければなりません。荷物を積む暇はないのです!逃げるしか出来ません。
3.この大きな苦難はどうしてそんなに大変だったのか?
17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。エルサレムの包囲の大変なことは、人々の飢餓でした。ユダヤ人が一応都の中に集まったら、敵に囲まれた時に町を出ることはもはや出来ません。身重の女と赤ちゃんは十分食べることが出来ないかもしれません。また冬には旅人は寝るところが見つかりにくいです。
19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。これはどうしてでしょうか?どうしてエルサレムのための戦いはそんなに厳しかったでしょうか?ユダヤ人はとても熱心に戦います。それは彼らは昔包囲されたこともありました。
BC587年にはエルサレムはバビロンの軍隊に征服されました。ユダヤ人はこれを大きな恥として覚えました。彼らはこんなことが二度とは怒らないように必死に戦いました。我々が頑張れば神様は必ず私たちを守って下さると彼らが考えました。でも、彼らは負けました。そしてだいたい500年後で70年ADユダヤ人は二回目に都エルサレムを失いました。これはとてもつらい経験だったでしょう!
4.神様は私たち人間の救いを望んでおられます
20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。これは私たちが信じでいる神様の心を表しています。神様は、私たちが救われて、生きることが欲しいです。私たちの救いのために神様は御子をこの世に送って下さいました。
悪魔は私たちを失望させようとします。私たちをまず罪に誘います。しかし私たちが罪を犯したら、悪魔は「お前が罪を犯したので、神様のさばきに合う。お前が永遠に滅びる!」しかし神様は「罪を悔い改めなさい!」と勧めます。アモス5,4「わたしを求めて、生きよう!」クリスチャンたちは主の勧めに従いました。エルサレムのための戦いが始まる前に彼らが主の警告を思い起こしました。彼らはみんな逃げました。自分の命を守っただけではなく、福音の証を相変わらず続けました。世界の人々はイエス様の十字架の力を知り、罪からの救いを経験することが出来ます。今日に至るまで人々が、イエス様の十字架の力によって罪と悪魔から解放されます。もしあなたがそれを望んでいるなら、あなたの罪を主に告白し、主の赦しを受けて下さい!この恵みを与えて下さる主に感謝しましょう!

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